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【学校・研究室推薦】辞退したら大変なことになった話(実体験)

※本記事では「学校推薦・研究室推薦を辞退したら、どうなるのか」について、実体験を紹介します。

 

電験と電気業界の研究を続けている桜庭裕介です。

 

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電験2種|機械【結論:ポイントを押さえて選択肢を減らす攻略法は有効だった】

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電気エンジニアTOEIC攻略までの道のり【800点までは取れた】

 

先日配信した記事(努力すれば仕事に就けないことはない【頑張ったもん勝ち】)はTwitterで好評でした。

 

実体験故に、絶対役に立つと思っていたので嬉しかったです。(コメント下さった方々、ありがとうございます。)

 

 

今日はかなり昔の話ではありますが、自分がやらかした話(利用されてしまった話)を紹介します。

 

弱小大学に切り捨てられたような形で、遺恨を残してしまったと反省しています。若かった田舎者の自分にはどうすることもできなかったというのが正直なところではあります。

 

学校・研究室推薦を辞退したら大変なことになる

自分は学校推薦制度を利用して

A企業
から「内定」をもらった。


規模は大きくないが、1つの製品で国内シェアを取る企業だ。

 

しかし、自分は色々あって、その内定を蹴ることになる。

 

 

その話をしていく。

 

自分はA企業の他にも、B企業という超大手企業を受験していた。

 

そして、結論から言うと

推薦のA企業よりも先にB企業から「内定」をもらってしまうのである

 

結果的に、A企業内定を蹴って入社する。

 



これはかなりの「ルール違反」である。

 

大学とA企業との関係が崩れる為だ。

 

ところが、この事態には裏の話があり、大学側の思惑が思いっきり絡んだ結果だったのだ。

 

 

結果的には
「自分が悪者になって、大学が得をする」と結論で事態が収まった。

 

 

今日はこの騒動の話をする。

 

1.大学3年生の冬

自分は高専5年間を経て、ある無名の大学に進学していた。

 

田舎から来た自分は車も持っていなかったし、右も左もわからないといった環境で過ごしていた。

 

そして、諸事情もあって、大学3年生の12月から就職活動を始めた。

 


当時の自分は貧乏で、月5万円のお小遣いで寮費等で約1万円引かれて、月4万円の奨学金で過ごしていた。

 

ただ、おばあちゃんからもらった20万円はあった。

 

そのため、実質月5万円で過ごしていた。

 

基本的に食事は
「ごはん+卵」
「ごはん+シーチキン」
「ごはん+湯せんハンバーグ」

 

たまに野菜やりんご。

 

ただこれらの食事は好きだったし、勉強も楽しかった。(彼女のような存在はいなかったが、それ故に自由で今思うと、一番人生を謳歌していたとも思える)

 

ばあちゃんが冷蔵庫の上に置いてあった「500円玉」や「1000円札」でいっぱいになった大きな瓶。

 

 

ここに入っていた20万円をもらった以上、頑張らないといかん。

 

 

こんな覚悟だったので、大学の成績は2位だった。


ばあちゃんには頑張っている旨を電話で伝えた。

 

 

※お金持ちの友人から教科書をコピーさせてもらったのは今も感謝している。(大学の教科書はかなり高い。当初、大学はほぼお金がかからないものだと斡旋してもらったのだが、布団等を買わないといけないし、意外とお金はかかった)

 

2.就職支援センターと大学教授の冷たさ

12月になり、就職に関する話がよく出るようになった。進学か就職かの進路相談もあった。


これ以上は親にもお金をかけられないと思い、就職をしたかった。奨学金という手もあったが、これ以上、借金をして親に心配をかけたくなかった。



そのため、就職へと舵を切った。
就職活動の準備が始まったのである。


まずは

「就職活動支援センター」

 

 

ここに行け!という命令が総務課から通達があった。

 

 

ここで驚くことになる。

 

 

 

就職活動支援センターという看板はあったが

 

とても雑だった。

 

 

コーナーすらなかった。

正確には無人のスペースはあって、机とSPIの数冊が置いてあっただけ。

 

総務窓口で



「リクナビとマイナビに登録しな」

 

「大学院に行かないやつは知らん」

 

 

こんな感じの応対を受けたことを今も覚えている。詳しい話を聞くことは不可能だった。

 



また、研究室の教授には

 

「大学院に行かない大学生はダメ。進学した意味がないとみんなの前で言われたことを覚えている。

 

「成績が良いのに、大学院の価値がわからんのか。馬鹿にしている」と言われたことを今も覚えている。

 

3.学校推薦という甘い蜜

自分は正直、自信がなかった。

 

田舎から来たこともあって土地勘はないし、言葉もそこまで流暢に話せるようなタイプでもなかったためだ。

 

 

たぶん机上の勉強だったら、東大生にも負けない自信はあった。(実際、一部上場企業のSPIや筆記試験では成績が一番だった)

 

しかし、そんなSPIなど足切りでしかないし、そこまで価値がないということも理解していた。

 

 

そんなこともあり、大学で行われていた就職フェアに参加した際に

 

 

企業側から「君の大学から推薦が使えるよ!」と言われたとき

 

 

「これはいい!」と思った。

 

 

そして、大学教授に相談したら

 

「・・・仕方がないから推薦してやるか」

 

こういった流れで大学推薦を手に入れたのである。

 

4.他企業との併願はOKという風潮

ただ自分の大学では

「大学推薦を選択しても、他の企業を併願する文化」があった。

 

 

何故なら

 

無名大学の大学推薦は効果が薄いからである

 

 

大学院の先輩も実際そうしていた。

もし、大学推薦1本で活動していて、不合格だと、大変なことになってしまう。

 

 

これはこれで仕方がないことだとも言える。

 

ところが運悪く、自分の時に問題が発生してしまった。

 

5.大学推薦の企業より待遇の良い企業に合格してしまった

これは大学や取り巻きの企業にもよると思うが

大学推薦をOKとしている企業は、一般の企業よりも早く選考が終わる。

 

というより、選考ステップが少なかったりする。

 

 

人事担当クラスの1次面接がなくて、役員面接もしくはいきなり最終面接だったりする。

 

ところが、自分の大学推薦の企業はこの年に限って、遅れに遅れていた。

 

詳しい事情は分からないが、面接案内も変更になったこともあり、スケジュールは遅れていた。面接日も急な連絡で「3日後に来てくれますか?」といった感じで常にバタバタしていた。

 

 

役員面接が行われたのは、一般企業の面接が始まる時期だった。

 

 

一方で、一般応募であるB企業は大手。

淡々と選考ステップは進んだ。

大量の志願者がいることもあり、ものすごいスピード感で3回の面接が行われた。

 

そんなこともあり・・・

 

一般応募のB企業の内定が一番最初に決まってしまったのである

 

 

この連絡を受けたのは、18時頃サッカー場で受けたことを鮮明に覚えている。

 

 

大学推薦のA企業に対して数回メールで問い合わせをしていたのだが、一向に合格連絡はなかった。こうなってはマズイと思い、B企業の内定翌日、直接電話をしてみた。

 

 

 

A企業から人事部長から驚きの回答があった。

 

 

 

 

「内定の連絡、届いていないの??」

 

6.大学推薦の企業を断る

A企業の面接は遅れていたし、連絡不備も多いため「A企業は正直ダメだな・・」と思っていたこともあり、断ることにした。

 

その旨のメールを送り、謝りの電話を入れて、事は片付いた・・・・

 

 

 

 

 

と思っていた。

 

 

 

一本の電話が鳴る。

 

 

 

「総務課」からだ。

 

 

 

総務課担当「・・・何をしたか、わかっているのか??」

 

 

びっくりしたこともあって

「ちょっとわかりません。直接お伺いしても良いですか??」と伝えて、総務課に向かった。

 

 

総務課に着いて早々

「大学推薦を蹴るとはどういうことだ!!」と総務課窓口員の後ろにいる偉いと思われる方が大きな声で話に入ってきた。

 

そして、別室に案内された。

 

7.B企業の名前を出したら話が変わってきた

事情を全て話した。


面接日が急に中止になったり、「変更日は3日後ね!」とフランクな回答が来たり、合格連絡が来ていなかったり。

 

 

ただこれらは、大学推薦ということもあり、大学と関係が深い企業であれば、よくある話だと偉い人に言われた。(今は転職業界の調査をして多くのエージェントと話をしたり、経験を積んだが、こんな企業あまりない。やはり、大学と関係が深すぎて、求人広告もあまり出していない企業の特徴とも言えるだろう。)

 

 

偉い人「で。どこの企業に一般応募で受かったんだ??」

 


自分「B企業です」

 

偉い人「え!!!!!本当か!!!凄い快挙だぞ!!」

 

よくやった、よくやったと褒められた。

 

 

そして、その日は釈放された。

 

翌日に大学教授に呼ばれた。

 

その教授からも「凄いぞ!!」「良かったな!!!」「これまでの努力が実ったな!!」と褒められた。

 

大学院に行かないと言った時
就職活動に舵を切った時
推薦の話をした時

 

いずれのときも、冷たいまなざしで「はいはい」といった非応援の態度だったのが、この日は違った。

 

まるで、自分の弟子のごとく可愛がってもらえた。

 


何故か、ごはんに連れて行ってもらった。


嬉しかったけど

「大人とは実に利己的なものだ」と感じつつ、寂しい思いをしたことを覚えている。

 

8.大学の商品価値に利用される

結果的には、大学側(研究室)から企業に謝罪が軽くあったそうだ。

 

「謝っておいたぞ」と一言言われた。

 

だが、ここには裏があったことを後日知ることになる。

 

 

大学側は、とにかく自分がB企業から内定したことを祝い続けた。

 

 

自分の大学からB企業に入社した人は10年以上いない

 

そのため、大学側は「B企業との関係ができる」と喜んでいた。実績というのは、思っている以上に大きいのがこの世の中だからだ。

 

 

一方で、大学側は企業との関係以上に「新入生に対するPR効果が絶大」というメリットを手に入れていた。

 

ガンガン広告していた。


大学の壁にも「今年はB企業に1名合格」

 

といった就職成果が貼り出されていた。(自分の話が一番に取り扱われていた。企業名までも)

 

 

オープンキャンパスでは、就職関連のチラシが配られていてそこにも自分の話が記載されていた。

 

他にも、大学発行の雑誌にも記載されていた。

 

 

今振り返ると・・・

 

 

大学側は推薦のA企業には謝っておいたと言ったが、自分という商品を広告に使った方がメリットが大きかったんだと思う。

 

そして、そのA企業にとっても、広告に惹きつけられて良い学生が大学に入ってくる方が良かったのだと思う。

 

事実、A企業が一切の文句を即日言わなくなった。これは違和感でしかなかった。簡単な謝りだけで済むなら、大騒ぎする必要はなかっただろうし。

 

 

こんな感じで、自分はB企業の内定を手に入れ、就活が終わったのである。

 

まとめ

以上「【学校・研究室推薦】辞退したら大変なことなった話(実体験)」の記事となります。

 

この経験を踏まえて、大学推薦一本すべきだとか、併願しておくと良いとも言えないのが正直なところだ。

 

推薦をした会社に絶対入るというルールのもとで、大学推薦を選択するのであれば良いがそうでない場合には注意が要る。

 

 

このあたりを認識していないと、超優良企業を手からこぼす可能性があることを認識しておいて欲しい。